April 16, 2006

こだわり地名クイズ

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楠原佑介1年ぶりの新刊

『こだわり地名クイズ』 ご案内

徳間文庫  4月7日発売 259ページ 定価571円(税別)
  *日本の地名に関しては相当大間違いの“定説” “常識”がまかり通っているゾ!
  *戦後の日本社会を覆った事大主義が誤りを増長させた。
  *本書は間違いを是正し、論理的思考による地名理解を取り戻すための作業、第1弾!

<目次>

第1章 地名の常識 ウソ? ホント?

  [問1]江戸の語源は「日比谷入江の戸口」だった
  [問2]日比谷公園の名に残る地名「日比谷」は海苔篊に由来する
  [問3]江戸の町人町はマチ,武家屋敷地区は~ チョウと呼んだ
  [問4]JR東京駅東口一帯の「八重洲」は本当は丸の内側の地名だった
  [問5]人気マンガ『こち亀』の亀有は昔「亀無村」だった
  [問6]昭和15年の竣工時に大賑わいだった勝鬨橋は戦勝を記念して命名された
  [問7]千葉県銚子市は酒器の銚子に見立てた地名だ
  [問8]東京都武蔵野市は古代からの武蔵野の名を継いだ市名である
  [問9]首都圏のマンション冠称地名1位はやはり「東京」
  [問10]かつて江戸市中には富士見町がたくさんあった
  [問11]富士山は他に全国にたくさんある
  [問12]「~岳(嶽)」という語尾の山名は「険しくゴツゴツした急峻な山」
  [問13]南アルプス市は日本初の欧州語地名だ
  [問14]「伊豆七島」と「伊豆諾島」は同じ島々だ
  [問15]埼玉県川口市は昔、荒川(当時は入間川)の河口だつた
  [問16]『夜明け前』で有名な木曾馬籠は本来、信州(長野県)ではなかった
  [問17]長野県内の「~島」地名は大昔の湖中にあった小島の名残
  [問18]富士山とお茶と次郎長の駿河国の国名は「急流の川」に由来する
  [問19]幕末、賊軍となった佐幕派の藩名は県名にならなかった
  [問20]世界初の原爆被爆地となった広島市はかつて臨時首都だった
  [問21]岡山県倉敷市は江戸時代の蔵屋敷に由来する
  [問22]古代、「阿波の鳴門」以外にも鳴門があった
  [問23]千葉県九十九里浜は実際に九十九里ある
  [問24]ついでに次の距離表示地名は

第Ⅱ章 国名・都市名の不思議クイズ

    毎日使う大地名にも仰天する謎が隠れている
  [問25]古代日本の首都は転々としたが……
  [問26]日本の古国名には雌雄の別があった!『古事記』国生み神話は国名の雌雄を明白に区別していた〈その1〉
  [問27]日本の古国名には雌雄の別があった!『古事記』国生み神話は国名の雌雄を明白に区別していた〈その2〉
  [問28]日本の旧国名──略称は何? 日本列島には68州のクニがあった
  [問29]日本の旧国名──略称は何? (続)これは前問よりも易しい。全問正解してもらわなくちゃ~ネ
  [問30]変転する中国都市名クイズこの国の地名は「“昔の名前”では出てこない」ンだよナ!
  [問31]旧ソ連の都市名は何度も変えられた〈その1〉独裁者スターリンの名を冠した都市名の末路
  [問32]旧ソ連の都市名は何度も変えられた〈その2〉地名が繋がらなければ、歴史は語れなくなるゾ!
  [問33]戦国~江戸初期、日本の都市名も変えられた 戦国武将・近世大名は自分好みに地名を変えた
  [問34]明治維新後にも、地名が変更された 明治2年の版籍奉還は中央集権化の第一歩だった
  [問35]昔の名前(藩名)は何だった? 明治以降、昔の藩(城下町)名を捨てた町
  [問36]県名の由来を分類すると……
  [問37]この国は自国を自国語でどう呼ぶか?
  [問38]イタリアの古都Veneziaは各国語でどう表記しどう発音する? ベニスの商人、ベニスに死す、そしてベネチアン・ガラス……だが
  [問39]インドでは続々と都市名が旧称に戻された! 21世紀、植民地地名を払拭するのが世界のトレンドになった
  [問40]ここはどこ?……漢字地名世界めぐり5大州と主要自然地域(山脈・砂漠ほか)名
  [問41]外国国名を漢字で書くと……ヨーロッパ編)
  [問42]外国国名を漢字で書くと……(続)
  [問43]外国都市名を漢字表記に。さあ、どう読む?

第Ⅲ章 数詞地名・名数地名クイズ
    簡単そうで意外な陥し穴がある──

  [問44]「一宮」・「二宮」だっていろいろあるヨ
  [問45]「三~」のつく名数地名は数多い。まずは誰でも知っている「日本三~」から
  [問46]古代「三関」と呼ぶ関所は何種類もあった。次の口口に入るべき地名は?
  [問47]「三山」にも、いくつか種類がある。次の「~三山」の□□は?
  [問48]江戸の四宿──その規模と機能を比較する
  [問49]江戸の五不動はどこにあつた? 目黒は現・目黒区下目黒三丁目だが……
  [問50]五大陸(五大州)とは?
  [問51]六所遠流──近代以前、世界中の国々でごく一般的に、罪人とくに政治犯などの重罪人は流刑に処され、社会から隔離された。古代律令制と江戸時代の「六所遠流」はどことどこか。
  [問52]鎌倉七口とは?
  [問53]京の七口とは?
  [問54]国生み神話に出てくる大八洲とは?
  [問55]三十三カ所、三十四カ所巡りとは?
  [問56]東海道五十三次、江戸時代の宿名は?
  [問57]数詞地名は意外に難しいゾ! [一]はイチかヒトツか、さて…?
  [問58]難読数詞地名はこんなにある!〈その1〉この「二」~「五」付きの地名をどう読む?
  [問59]難読数詞地名はこんなにある!〈その2〉この「六」~「十」付きの地名をどう読む?
  [問60]まだまだあるゾ! 難読数詞地名 地名には“足し算読み”もあるゾ! さて、以下の地名の読みは?
  [問61]続々あるゾ! 難読数詞地名 変幻自在、摩詞不思議な日本語地名ワールドを探険しよう
  [問62]五十歳は『論語』では「知命(天命を知る)」だが、地名の「五十」は、なかなか難しいゾ!
  [問63]「五十」どころか「百」はもっと難問だ!
  [問64]「五百」もなかなか読めないゾ!

第Ⅳ章 本物は何か? ブランド地名クイズ
    日本は地名を冠称するブランド品の宝庫だった!……

  [問65]日本はブランド地名の先進国だった〈その1〉川柳に見る江戸の地名ブランド①
  [問66]日本はブランド地名の先進国だった〈その2〉川柳に見る江戸の地名ブランド②
  [問67]『枕草子』はブランド地名集成だった! 王朝文学の女性旗手が思い描いた文学的地名のランク度
  [問68]歌枕は日本文学独特のブランド地名 地名から抽象的イメージを呼び起こす不思議な世界
  [問69]大相撲の年寄株(部屋)名のルーツを問う お馴染みの力士の部屋名はどこの地名?
  [問70]大阪の東西の通りは同業問屋街だった! この世界文化遺産級の歴史を忘れるな
  [問71]「六古窯」とはどことどこ? これぐらい知ってなきゃ、中島誠之助先生に笑われちゃうゾ
  [問72]諾国名産海産物ブランド これが日本の地名付きブランド品の元祖だ
  [問73]日本の伝統美──織物ブランド地名は? 廃れゆく日本の民族文化の一つだが、名だけでも覚えておこう
  [問74]味噌は日本の誇るブランド発酵食品だ 全国に“手前ミソ”がこんなにあるゾ!
  [問75]京野菜は「地産地消」の健康食品だった! 京懐石の伝統が育んだ野菜の名品の数かず
  [問76]日本はダイコン王国、その故里は? ラディシュradishは世界共通の健康野菜。日本はその大産地だ!
  [問77]英語で「日本産の~」動植物……その日本語名は? 日本固有種だから“Japanese”~は当然だが、中には意外な翻訳も
  [問78]この犬の原産地はどこだ? ペットの起源を訊ねてみよう〈その1〉
  [問79]この猫の原産地はどこだ? ペットの起源を訊ねてみよう〈その2〉
  [問80]家畜にも地名ブランドがある この組み合わせの家畜名は?
  [問81]地名を冠して呼ばれる稀少動物名は?
  [問82]島にも高山植物がある! 世界に誇る植物のブランド地名は? 美しき花々は北と南の島々を彩る

第V章 難読・異読地名クイズ
    地名はホントに難しくて面白い──

  [問83]6カ所の「上野」、さてどう読む? 日本の地名は、そんなに簡単ではない
  [問84]「上」には、ほかにこんな読み方がある! 前項の6種のほかにも、まだこんなに異読例があるヨ 
  [問85]「上」のついでに「下」も見ておこう 「下」だって「上」に負けず劣らずいろんな読みがあるヨ
  [問86]「神田」だって一筋縄ではいかないヨ さて、どう読む?
  [問87]「神戸」をコウベと読むのは、むしろ少数派だ。さて、以下の7地名はどう読む?
  [問88]「新宿」はシンジュクとは限らないヨ
  [問89]人はいろいろ、人生さまざま。地名も所によって読みが変わる!
  [問90]次の地名に振りガナをつけてみよう! 新カナの驚くべき問題点が浮かんでくるゾ
  [問91]ついでにこれも読んでみよう 日本の地名の実相に迫る問題だゾ
  [問92]「女」心は変わりやすい! この「女」は全部、読みが違うヨ
  [問93]「女」はホント、大変だヨなァ~!
  [問94]「男」・「雄」だって一筋縄ではゆかないヨ
  [問95]男女の仲は微妙で複雑きわまる
  [問96]「愛」にもイロイロな読みがある!
  [問97]家族・親族関係はややこしい!〈その1〉家族・親族を呼ぶ用語は身近に慣れた言葉だから地名に転用されやすいが……
  [問98]家族・親族関係はややこしい!〈その2〉
  [問99]長野県北安曇郡小谷村をオタリと読むのはなぜ? 「谷」という地名の謎に迫る
  [問100]さて、この「熊谷」をどう読む? 源平・一の谷合戦の猛将・熊谷直実は「クマガイ」だが……。
  [問101]日本なのに漢文の返り点式地名もある!
  [問102]さてクリアできるか? 「越」の20変化<その1>
  [問103]さてクリアできるか? 「越」の20変化<その2>
  [問104]「越」を越える「生」の65面相〈その1〉
  [問105]「越」を越える「生」の65面相〈その2〉
  [問106]「越」を越える「生」の65面相〈その3〉
  [問107]「越」を越える「生」の65面相〈その4〉
  [問108]「越」を越える「生」の65面相〈その5〉
  [問109]「越」を越える「生」の65面相〈その6〉
  [問110]「越」を越える「生」の65面相〈その7〉
  [問111]「越」を越える「生」の65面相〈その8〉
  [問112]読めなくて当然 誤字地名だもの〈その1〉
  [問113]読めなくて当然 誤字地名だもの〈その2〉
  [問114]これは読めない! 究極の難読地名に挑戦してみよう〈その1〉
  [問115]これは読めない! 究極の難読地名に挑戦してみよう<その2>

<あとがき>

 およそ三十年前から、私は地名問題に本格的に取り組み始めた。そして昭和五十五年、東京・神田神保町に自前の小さな事務所を構え、「地名情報室」、別称「地名110番」の看板を掲げた。その頃、住居表示問題でマスコミから何度も取材を受けており、早速、数社が「地名110番、開設」と取り上げてくれた。私としては、当局側から地名変更を強制された各地の住民が、何の知識もなしに素手で対抗しているのを見かねて、より適切な情報提供と助言ができれば、という思いだった。
 その後、事務所名は「地名情報資料室」、「地名センター」に変え、最後は自宅兼用となったが、各地の住民の相談に乗り、またマスコミ各社からの個別問題に関する取材にもしっかり対応してきたつもりである。
 個人のほんのささやかな試みだったが、この間、各方面からの問い合わせと回答件数は優に数千件に達するだろう。電話問答や記者諸兄との雑談混じりの地名談議をテープに取っていたら、十数冊の本になっていただろうが、今更悔やんでも仕方がない。
 ささやかながら事務所を構えたメリツトは、もう一つあった。地名に興味を持っ学生諸君や若手の研究者が、日夜、集まってくれたことである。夜ごと多くの仲間と安酒をくみ交わし、談論風発の時を過ごした。話は身近な町名談議に始まり、大仰にいえば歴史地理哲学、名づけて“地名地政学”にも及んだ。地名に対する思い入れ、地名観は人さまざまであり、地名の奥行きの深さをしっかりと認識させられた。私にとっては得がたい鍛錬の場であった。
 本書は、そうした長年にわたって蓄積してきた地名に関する知識と情報を、クイズ形式にまとめたものである。
 設問のなかには、マスコミ関係者や一般の住民の方々からの問い合わせも数多く含まれている。それらを通して、人々が地名のどんなところに興味を持ち、疑問を抱いているのかがわかり、私としては大いに参考になった。
 いわば、みなさんの興味や疑問が、私にこの本を書かせた原動力になった、といっても過言ではない。あえてクイズ形式にしたのは、このほうが少しでも読者に理解していただけるのではないか、と考えたからである。
 内容的には、類書とは一味も二味も違っているはず。それが良かつたのかどうかは、読者の判断を待つしかない。ともあれ、本書を手に取られた読者のみなさんが、地名の持つ複雑にして多様な本質に気づき、その奥行きの限りない深さ、面白さに目覚めていただけたら、これにまさる喜びはない。

   平成十八年二月

                           著者

                                                

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September 27, 2005

浜松市の7新区名私案--平成17年7月20日提出済

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 浜松は近代工業・先端技術だけでなく歴史的都市でもあることを世界に発信すべし!

 今回の平成の大合併で、人口1万前後の田舎町が3つ4つ合併してかろうじて人口3万を越え、「~市」を名乗る例が続出しているが、やれやれ何度同じ間違いを繰り返すのか、と慨嘆せざるをえない。ただ、静岡県西部の3市8町1村が合併して誕生する新政令指定都市「浜松市」には、その先行きに少なからず期待を抱かせるものがある。というのは、現行の47都道府県という枠組みは、明治前期にはそれなりの必然性もあったろうし、それなりに機能もしてきたが、今ではもはや“無用の長物”と化している。戦後の地方自治制度の病弊は、そのほとんどは時代錯誤の都道府県制度を温存したことにある、と断言してもよい。

 47都道府県はやがて道州制実現の過程で解体・再編される運命にあるが、それに代わる枠組みとして広域政令指定都市がより住民に密着した形の行政自治体として機能することが期待される。今回の合併で唯一プラス評価できるのはその点だけで、さしづめ新「浜松市」が明治以来の陋習をどう脱却できるか、注目に値する。

 区名設定問題は、その手始めの課題であろう。これまで新設された新政令指定都市では軒並み、東西南北の方位称による機械的区分や「緑区」「中央区」など没歴史的・没個性的(あらゆる地域には個性があるのに)な新区名が恥ずかしげもなく採用されてきた。その病理現象は拙著『こんな市名はもういらない!』でつぶさに解剖しておいたが、どうか浜松市はこれら前車の轍を踏まないでほしい。

 新「浜松市」の市域は後述するように、古代以来の7郡の郡域に及んでいる。新区名に、これら少なくとも1300年の歴史を誇る古代以来の郡名を活用しない手はない。世界中の都市で、市名自体が1000年以上前の起源を持つ都市はそんなに多くはない。浜松は遠江国敷智郡の郷名として優に1300年の歴史がある。そのことだけでも歴史的都市として誇るに足ることだが、さらに市内区分の区名もそろって同じレベルの歴史的地名を名乗っているということになれば、これはもう世界中でも稀な例と胸を張ってよい。

 このような観点から、新「浜松市」の7区名について以下、古代郡名を中心にした私案を提示しておく。

<区名私案要項>

 解説の都合上(分かりやすさ)により、アルファベット順ではなく逆順すなわち周辺部から採りあげる。

<採点>

「正しい地名復興運動」の活動の一環として、地名情報資料室・楠原佑介は新市名・新区名について採点方式を策定しております(別紙ご参照)。新市名・新区名について、個々人の好悪の感情で新市名や新区名を評個するのではなく、歴史的伝統的地名の保存・継承という観点から客観的に評価しようとするものです。以下の新区名についても、それぞれこの採点方式により、点数付けできます(いずれもプラスの点数になる)が、今回比較の対象となる別案を提示しないため、あえて採点は避けます(もし別案が決まるようでしたら、即刻、双方の点数を発表し、どちらが妥当か、広く世に訴える所存です)。

[G区] 7月1日編入の天竜市・龍山村・春野町・佐久間町・水窪町の区域

<区名候補名の検証>

山香 (やまか) 古代の遠江国山香郡は平安前期の元慶5年(881)磐田郡を分割し設置された。山香郡4郷のうち大峯郷は龍山村大嶺、気多郷は春野町気田が遺称地と見てよい。また与利郷は春野町杉の居寄を遺称と見る説があり、その郷域は大井川中流右岸の川根町・本川根町にまで及んでいたとする説もある。だが地勢からして、大井川中・上流域は平安前期まで郡郷が未設定の地域だったと考える。またもう一つの岐階郷は読みも遺称地も不詳。この郷が佐久間町や水窪町に想定できるなら、古代の山香郡の郡域はこの[G区]にほぼ重なることになる。だが、この長野県境に接する山間地は、先の大井川中・下流域と同じく古代律令国家の版図に組み込まれなかった地区であろう。文化の遅れた僻遠の地ということではなく、平野部の水田稲作集団を中心に構成された古代国家にとっても、地元住民にとっても、山間の僻遠地を国家体制に編成するメリットは少なかったのだろう。ちなみに、当時の東国だけでなく畿内に接する紀伊半島や瀬戸内海の島々にも、郷が設定されず律令体制に組み込まれなかった地区は広範に広がっていた。

このように考えると、この「G区]を表現するにふさわしい歴史的地名は「山香」以外にはありえない、と結論してよかろう。

[F区] 旧浜松市北端部の都田地区と7月1日編入の引佐町・細江町・三ケ日町の区域

<区名候補名の検証>

 引佐(いなさ) 古代の遠江国引佐郡は浜名湖の支湖である引佐細江の沿岸と、それに注ぐ都田川本・支流域を含む一帯。この[F区]に区分された区域のうち、旧・三ケ日町域は古代~中世には浜名郡の一中心であった。近世初期、この浜名郡北部(のちの三ケ日町域)は敷知郡、明治29年以降は引佐郡に編入された。つまり[F区]のうち旧・三ケ日町域は古代~近世には引佐郡ではないが、それでも近代の100年余りは「引佐」郡に属したから、この吉代以来の郡名を忌避する理由にはなるまい。

 すなわち、この[F区]を表現する歴史的地名としては、まず「引佐」を挙げなくてはならない。

[E区] 旧浜松市の西半部と7月1日編入の舞阪町・雄踏町の区域。

<区名候補名の検証>

 敷智・敷知(ふち) この[E区]は、古代の遠江国敷智郡の君域から浜松(浜津)郷を除外した区域にほぼ相当する。「敷智」郡の名は「淵」と1文字で表記された例もあるが、語源はむしろ「縁」で浜名湖東岸を縁取るように延びる三方原台地の縁辺を表現したもの。台地縁辺は全国どこでもそうだが、湧水に恵まれ、水田稲作の最適地である。浜名湖東岸は出入りに富んだ沈降海岸で、閉鎖された淡水湖の時代にも今切口で海と繋がった時期にも安全に豊冨な漁獲が見込まれる漁業適地でもあった。また、古代の東海道は本坂峠越えで遠江国に入り、浜名湖北岸から東岸を経るルートで三方原を迂回し、天竜川(当時は麁玉川)下流を渡って現・磐田市にあった国府に向かっていた。敷智郡10郷は、そうした農耕・漁労の適地と交通の要地に成立した郷であったろう。

 なお、「敷智」とは現代人にとっては耳憤れない地名表記で、違和感を感じる向きもあるかもしれない。しかし「敷」という漢字は常用漢字内で、「フ」という読みもその音訓表に採用されており、「敷設(ふせつ)」という熟語は義務教育段階で必ず教わる。今回の合併では新奇を衒って重箱読み・湯桶読みの新市名が続出しているが、それらに比べれば「敷智」は和語のフチ(縁)の2音節を漢字2字の字音を借りて表記した借音地名であるから、『万葉集』以来、日本語固有名詞の漢字表記法として定着してきた伝統的表記法である。パソコンやワープロで「フチ」と入力しても「敷智」という字は今はすぐには出てこないが、他の合併新市名と同様、地名用ソフトが改定されれば必ず一発で転換できるようになるから、何も心配はない。

[D区] 旧浜北市の区域。

<区名候補名の検証>

 麁玉(あらたま) 古代の遠江国麁玉郡の郡域は、三方原台地の東縁と当時の麁玉川(天竜川の旧称)の流路の闇に広がる沖積平野を占めていた。当時の天竜川(麁玉川)は二股で山地から流れ出て(二股とは川の分流地点を示す)すぐ幾筋にも分れて乱流して流れていたらしい。「麁玉」とは「河川の流路が定まらず網目状に乱流する」状態を表したものか。あるいは、漢字「麁」は「粗」と類義らしく、その乱流する流路の間に陸地(自然堤防・微高地)がまばら(粗・麁)に点在する様子を示した地名でもあろう。ちなみに、手網のことを今でもタマというが、武蔵国埼玉郡埼玉郷や同国多摩郡を流れる多摩川のタマも、こうした「網目状流路」を表現した地名である。

「ナイルの賜物」という言葉がある。エジプトのナイル川は毎年のように洪水を起こしたが、それによって下流に広大な沃野を形成し、古代文明を育んだ。チグリス・ユーフラテスのメソポタミア文明、インダス川流域のインド文明、黄河・長江の古代中国文明もみな同じ条件に恵まれていた。遠江国の古代史は、麁玉川のつくった大沖積平野の開拓史抜きには語れない。

古代の麁玉郡の郡域は古墳群など古代遺跡の分布状況から見ると、現在の馬込川沿いに南に延びて、浜松市北東部の半田町から有玉地区に及んでいたらしい。ところが、この麁玉郡の区画は中世~近世にかけて徐々に縮小され、明治12年の新郡区編制時には5カ村(6村とも)を数えるだけになっていた。その5村が明治22年に合併、麁玉郡麁玉村(1郡1村)を名乗ったが、郡域としては狭小に過ぎ、明治29年に引佐郡に統合されている。この時の「麁玉」の村名は今も小中学校名や農協支所の名に残されているらしいが、そうした100年余りの近代史の経緯にこだわることなく、ここは千数百年前の『万葉集』ほか古記録に登場する由緒正しい古地名として再評価し、区名に採用すべきであろう。古代の郡域と必ずしもぴたりと整合しないが、その点を差し引いてもなお高い点数で評価される区名になる。

 なお「麁」の字は「鹿」の字を3つ重ねた文字の異体字(略字)で常用漢字表外だが、ワープロ用漢字としてはJIS規格第2水準漢字表の部首「鹿」の部にコードNo7346として登録されている。私は工業技術院の技術系実務官僚が文字の規格を定めているという我が国の文字(文化)政策の現状には危機感を抱かざるをえないが、そのJIS規格が「麁」の字を採用したのはひとえに古代の遠江国麁玉郡の存在を意識したからにほかならない。この文字を今に生かして使わない手はない。

[C区] 旧浜松市の北東部

<区名候補名の検証>

 長上(ながかみ) 遠江国長田郡は天竜川(当時は麁玉川)下流域に置かれた郡で、藤原宮跡から「長田評」名の木簡が出土しており、大宝元年(701)の大宝令以前に設定された古い郡(大宝令施行以前は「~評」と称した)であったろう。郡域が広大で、おそらくは変転する麁玉川の流路の関係もあって和銅2年(709)に長上(ながのかみ)・長下(ながのしも)の2郡に分割された。長田郡の範囲は現在の天竜川右岸の旧浜北市南東部から南の遠州灘沿岸までおおむね馬込川の流路以東で、一部は天竜川左岸の磐田市・豊田町・竜津町にも及んでいたらしい。長上郡ど長下郡の位置関係は長上郡が北、長下郡がその南側の河口近くを占めていたようである。ただし、多くの郷名が後世の開発の進展のせいで伝承されず、長上郡・長下郡の境界は判然としない。大雑把にいいえば、今回の行政区区分案で採用された「B区」と「C区」の境界が期せずして古代の長上郡・長下郡の境を踏襲していると見てもよい。

 したがって「C区」の名称は古代の郡名を復活するのであれば「長上」とすべきかもしれない。しかし問題は「長上」という称は本来、「長田上」の略称であるが、その呼び方をどうするか。『和名抄』を基準にすれば「ながのかみ」になるが、『延喜式』では「ながかみ」と呼んでおり、中世以降は「ながかみ」が一般的であったらしい。また、もう一つの問題は「長上」と「長下」はあくまでも対になって使われて初めて意味をなすものであるから、この[C区]を「長上区」とすれば、次の[B区]は自動的に「長下区」としなければならなくなる。もっとも[B区]の東半分は古代から中世までは確かに長下郡の領域だったと思われるから、あながち根拠なき暴論と退けるわけにはゆかないだろうが。

 長田(ながた) それやこれやを考えると、この[C区]は和銅2年以前の古い郡(評)名を採り「長田区」とする手もある。[C区]の南部には和田地区が含まれるが、この「和田町」は昭和30年、元の大字・永田を改称した町名である。この地は江戸時代は長上郡永田村、中世には蒲御厨内の長田村で、『和名抄』に記された長上郡長田郷に遡り、すなわち和銅2年に2分割される以前の長田郡(評)の郡名の原点であった。[C区]の区画内に古代の長田郡・郷の原点が存在する以上、この区は「長田」を名乗る資格は十分にある。ついでに、町名のほうも根拠不確かな「和田」から元の「永田」に戻すべきだし、いやいっそ古代・中世の「長田」を復元すべきど考える。関連して、今回[B区]に属することになった浜松市長田町は、昭和26年「長十郎新田」の省略形として新設されたものだが、古代以来の歴史的地名「長田」と紛らわしい。即刻、改められるべきである。原形の「長十郎新田」に戻すのは住民の同意が得られず無理というのなら、同じ省略形でも「長新田(ちょうしんでん)町」とか「長新(ちょうしん)町」などとする手もある。もう一つ、今回[E区]に入る浜松市庄和町は旧・庄内村の大字・和田で、昭和41年の浜松市編入時に前記した[C区]の和田と抵触するため「庄和町」に改名されたもの。今回の行政区新設の際、こうした過去の地名政策の瑕瑾も修正されるべきは当然である。

[B区] 浜松市街地の南東部(ほぼJR東海道本線以南)

<区名候補名の検証>

 長下(ながしも) この[B区]の東部は古代には長下郡に属し、西部は敷智郡の内で栗原駅とそれに付随する駅家郷が置かれた地と思われる(あるいは敷智郡の郡衙もこの付近に置かれていたとすれば、城山遺跡出土木簡記載の「敷智郷」は駅家郷の前身か)。したがって、「B区」の西半(面積にすれば3分の1程度)は明らかに敷智郡に属するが、残り3分の2を占める東部は長下郡に含まれる。前項の[C区]を「長上区」とした場合、この[B区]は必然的に「長下区」とすべきだろう。

 浜津(はまつ) 敷智郡浜松郷の別表記。『和名抄』高山寺本や伊場遺跡出土の木簡に「浜津郷」の名が記されていることについては議論があるところだが、私はこの地名はハマ(浜)・マ(闇)・ツ(津。ただしこの「津」は湊の意ではなく「唾」と同じく「水分が湧き出す=湧泉地」が原義)という語構成で、砂丘列の間に湧く泉=池塘を表現した地名と見る。水田稲作に水は不可欠で、砂丘列の裏手の細長い沖積地の奥には泉が湧いて池塘ができており、真っ先に開田が図られた地であった。水路によって下流の海跡湖や海と結ばれているから、水運機能ももちろんあった。[C区]を「長田区」とした場合、[B区]のほうはこの「浜松」の別表記「浜津」が有力な区名候補となろう。

[A区] 旧浜松城下町と浜松城地、城地北方の三方原台地上の新市街地

 浜松(はままつ)・浜車(はまつ) [B区]を[長下区]とした場合、この[A区]の区名候補にはまず市名の「浜松」が第一候補になる。政令指定都市の区名で市名と同名の例は川崎市川崎区の前例があるから、浜松市に浜松区があっても何も差し支えはない。だが市名と同じ区名にいささかの違和感があるならば、躊躇することなく同地別称(古称と見てもよい)の「浜津」を選択すべきだろう。

 引間(ひくま)[B区]を「浜津区」とした場合、この[A区]の区名をどうするか、なかなか難問になる。「浜津」と「浜松」を併存させる手もあるが、「はまつ」と「はままつ」の発音が類似しすぎていることが難点。ならば中世の宿名である「引間」の名を使ってはどうか。中世の浜松荘の中心は引間であったらしく、元亀元年(1590)徳川家康が曳間古城を拡張して浜松新城を築いたというから、当時の引間(曳間)は現在の曳馬一~五丁目(明治22年成立の曳馬下村の一部)よりはるかに広く、浜松城の城地と城下町を含み、あるいは古代の浜津(浜松)郷全域に相当する地名だったかもしれない。その点、現在の町名の「曳馬」ではなく中世の表記の「引間」を使えば誤解は避けられる。

 また、この[A区]はすでに現在でも人口は24万人超となっており、いずれ分区は必至と思われる。その場合、分割する新区は[F区]の三方原地区を含めた台地上の地区をまとめ、区名には「三方」を採用すべきであろう。

「中央区」はもうやめよう!

 さらに付言しておくと、行政区名に「中央」を名乗るのはとても賛成できない。行政区画用語として「中央」が使われたのは昭和22年の東京都中央区が最初だが、東京の行政区(2ヵ月後に特別区)の名称として公認されたことで、戦後の合併新町村名や住居表示の新町名・新地名、政令指定都市の行政区名に大氾濫する結果となった。今から21年前の昭和59年、私は小冊子「地名・町名変更の実態」で全国の「中央」「中央町」165カ所を分析し、その実態が①市街中心地、②中心商店街、③市区役所所在地、④交通中心地、⑤市域のほぼ中央、などさまざまであることを報告しておいた。こんな安直な「中央願望」丸出しの新命名がロクなものであるはずがなく、事実、今や地方中小都市で「中央」を名乗った商業地区は軒並み、シャッター商店街と化しつつある。「中央」の名で地域に付加価値を付したつもりなのだろうが、そういう発想こそ“バブル願望”そのものであり、世界も日本ももうそんな願望が通用するような時代でははないことはいうまでもない。だがしかし、その後も大阪市中央区(平成元年。東区+南区)、千葉市中央区(平成4年)、さいたま市中央区(平成15年)など政令指定都市の新区名が新設され、今回の平成の大合併でも、愛媛県四国中央市(平成16年)・岡山県吉備中央町(同)・山梨県中央市(平成18年2月20日予定)など、いずれも世の顰蹙と嘲笑を買う例が続出している。いわば「“中央”の大安売り」とでも呼んでよいような現象だが、この期に及んで「中央区」などを新設するのは物笑いの種になること必至だろう。

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April 20, 2005

ちょっと待った!合併新市名 ③茨城県「つくばみらい市」に代案を提案する!

<合併新市名論評>

 ③茨城県「つくばみらい市」に代案を提案する!

平成17年3月27日 新市名を考える住民集会 於:伊奈町中央公民館
                 地名情報資料室・地名110番 楠原 佑介

合併市名はどう選択すべきか

 イ)合併町村に大小ある場合は大なる町村名を残せ」明治21年 内務大臣訓令 <大町村名継承原則>
 ロ)合併新市町村域により整合する名称を採用すべし <区画・名称の整合性原則>
 ハ)今後の行政中心となる小地名を名乗るべし <中心地名称採用原則>
   明治期に設定された県名は愛媛県・北海道を除き全部、中心城下町名・郡名・港町名を採用
 ニ)過去~現在まで当該地域に存在した地名から選択すべし <歴史的伝統的地名継承原則>

「つくばみらい市」のマイナス点を列挙しておこう

 ①新規命名の基礎点=0点
 ②地域の過去~現在の実情を反映していない  マイナス50点
 ③「つくば」も「みらい」もかな表記である点  マイナス50点×2
 ④「未来」という抽象語の時制用語 抽象語に場所特定機能はない  マイナス50点
 ⑤この1町1村の地が筑波郡になったのは近世初頭の郡域錯誤による  マイナス25点
 ⑥近世「筑波」郡域の全域から見れば数分の1が「つくば」を僭称  マイナス50

                         [総合評価]     -275点

愛知県「セントレア市」が廃案となったので、今回の合併新市町村名では段トツの最悪例になる!

 今回の伊奈町+谷和原村の場合、前記イ・ロ・ハは採用できそうにない。そこで「ニ項」を適用する

<歴史的伝統的地名の候補案>     新規命名でないから基準点100点

○「谷原(やはら)」(河野十四生氏案)
  [検証]・中世「谷原」は下総国相馬郡域の下流までを中心にした汎称だった点はマイナス  -60点
     ・近世の「谷原3万石」の称は相馬郡域の「谷原」を凌駕した  十30点
     ・寛永年間(1624~44〕の開拓による「谷原3万石」はこの地の歴史を十二分に語る  +30点
     ・新市域中、東部の台地は「谷原」には該当しない  -30点

                                                         [総合評価]   +70点

○「小貝」(楠原案)
  [検証]・河川名などの自然地名はその区域と市町村域が整合しないのは大きな欠点  -80点
     ・新市域はほとんど左岸だけ、右岸が欠けている分マイナス  -50点
     ・ただし、「川」を除外した語幹だけなら、混同の恐れは少ない +25点
     ・「小貝」という地名は流域には他に存在しない点もプラス点  +25点
                         [総合評価]   +20点
           *20点でも「つくばみらい」よりははるかにマシ

○「河内(こうち)」(楠原案) 古代~近世初頭まで合併2町村が属した郡名
  [検証]・近世以降、筑波郡に編入されたため実感に乏しい  -50点
     ・ただし、古代郡名は鬼怒川・小貝川にとり巻かれたこの地を表現したもの  +25点
     ・古代郡域の全体から見れば狭小にすぎる  -70点

                         [総合評価]   +5点

○「真幡(まはた)」(楠原案) 古代常陸国河内郡真幡郷はミノハタではなくマハタではないか
   [検証]・この郷名は中山信名ほかの『新編常陸国誌』・宮本茶村『常陸誌料郡郷考』以来、ミノハタと読まれ現・谷和原村の箕輪が遺称地とされてきた。吉田東伍『大日本地名辞書』も疑問符付きながらこれに従っていたので、我々(楠原・桜井ほか2名)の『古代地名語源辞典』も追従したが、今回あらためて検証しなおしてみると、やはり疑問。
      ・「真」の字をミに宛てる例は人名(名のり)には稀にある(「真」は「実」と類義)。
だが地名には見られない。「真」はやはりすなおにマの和訓と解すべきではないか。
      ・マ(真)は地名用例では「真っ直ぐ」のほか「真南」をも意味する(松尾俊郎説)とい
う。筑波台地が真南に延びた伊奈町南端部こそ真幡郷か。
      ・ハタ(幡)の字は古代地名では土佐国幡多郡ほか多数使われている。いずれも「端」の
意と思われるが、稀に「畑」もありうるか。いずれにせよ、筑波台地南端部に合致。
   [検証]・古代郷名考証として地理的合理性が十分ある  +50点
      ・今のところ楠原の新説で普遍性がない  -50点
      ・新市域と完全には整合しない(西部の低地部分が脱落)  -30点
          〃         (古代にはほかに大山郷も想定される)  -30点
      ・古代郷名のなかでは用字も良く、発音の音感も申し分なし  +20点
                         [総合評価]   +60点

      *この「真幡郷」については、楠原は全力を挙げてさらに検証を続行するつもり。
      *ここに掲げた以外にも候補名はあるはず。「つくばみらい」を阻止するため心ある住民はみんなで真剣に知恵をめぐらそう。

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April 18, 2005

いちゃもんのかみ・楠原佑介新刊『この駅名に問題あり』

◇楠原 佑介 新刊のご案内◇
 お待たせいたしました。いよいよ4月26日発売!
「この駅名に問題あり」  四六判 254頁 定価1,575円(税込み)
             草思社刊(営業℡03-3470-6565) ISBN4-7942-1401-4
  
   ……………………………………………………
ekimei <著者発能書き>
*「品川駅の南に北品川駅」
 「目黒ではないのに目黒駅」
 「目白不動から2・2㎞も離れた目白駅」
 「番町なのに市ヶ谷駅」
 「谷間でもないのに鴬谷駅」
 …東京周辺の駅名には摩訶不思議例がいっぱい。
*駅名自体が問題であるだけでなく、昭和40年代に行われた住居表示は駅名に合わせて新地名を設定したものも多数あり、「文京区大塚の北に豊島区南大塚がある」などという新たな問題地名例も発生している。
*我が国では明治以来、論理的整合性がある地名政策はついに検討・採用されることがなく、いつもその場限りの彌縫策が繰り返されてきた。駅名もまた、地名一般と軌を一にして目先の利害得失や空虚な発展願望のみによって命名されてきた。結果、地域の実態を示さないのみならず、地域史を歪め、住民の生活に混乱をもたらしかねない地名・駅名が多数出現している。
*この近代国家にあるまじき混迷のよって来る所以を追究し、我が国の官民とも今、何をなすべきかを考察し、その一案を提示した。
*東京近辺だけでなく、全国的にもさまざまな問題駅名例が多数ある。その具体例ごとに整理し原稿化しているが、本書は連作予定第1弾。
   ……………………………………………………

 『この駅名に問題あり』 目次

 序章 駅名はこれでいいのか――“何でもあり”の日本の駅名

 1 最初の鉄道駅名はパクリ(隣接地名借用)だった [品川]
   顔が三つある「品川」の不思議
   港区にあるのに、なぜ「品川」駅なのか
   品川宿が鉄道駅を忌避したというのは“つくられた伝説”臭い
   京浜急行が悲願とした都心乗り入れ [北品川]
 2 異議あり! 東急田園都市線の駅名選定
   不動産分譲のための駅名選定
   駅名を含めた総合的地名政策はついに検討されなかった
   改正法を骨抜きにしたのは誰か
   地名は多数決で決めてはならない
 3 中国では駅名是非論議が始まっている。
   中国では地名を変えるのが伝統だったが……
   駅名の誇大表示は国辱ものだ!

 Ⅰ章 駅名は誰のものか―施設名を駅名にすることの問題点

 1 駅名が訴えられた!
   寺院が都営地下鉄の駅名を訴えた!  [泉岳寺]
   公共目的なら他者の名称をパクって(無断借用して)も可とする論理
   あらゆる施設はいつか必ず移転する!
   駅名が施設名と合致していたのはたった2年9ヵ月  [都立家政]
 2 どうする? 東急東横線の実体なき駅名
   東横線は神奈川県側から伸びてきた
   日本型「田園都市計画」について
   軍施設に代わり学園の誘致へ――私鉄の新経営戦略  [学芸大学]
   縫れた糸はもうほどけないのか
   施設名に合わせた駅名改称が間違い   [都立大学]
   利用者アンケートで駅名の是非を決定できるのか
   駅名アンケート方式ははたして有効か
   両駅の駅名を元に戻す手順を伝授する   [中目黒]
   東横線にもあったパクリ駅名
 3 学校名を駅名とする愚
   学園誘致に失敗したのに「大泉学園」とは?  [大泉学園]
   学園都市計画と駅名は連動したか   [国立]
   駅名は大学の宣伝手段か
   「大根はイメージが悪い」という没知性的感覚!  [東海大学前]
   新幹線にも登場した大学名駅名  [本庄早稲田]
   地名+大学名略称のはらむ問題点

 Ⅱ章 東京都心のパクリ駅名

 1 駅名「新宿」はブラックホールか   [新宿]
   駅の設置場所は角村字渡辺土手際だった
   甲武鉄道電車線の新宿駅ホームは2カ所に分かれていた
   世界一の巨大連絡駅に発展したが……
   借用した略称の駅名が肥大し、地域史を破壊した
 2 山手線5駅も隣接地名借用だった  [目黒]
   現ルートになったのは村民の反対運動のせいか
   問題があったのは駅名選定のほうだ
   2カ所で「さんま祭り」が行われる珍風景
   当初、住民は「高田村停車場」と呼んでいた!  [目白]
   駅よりも西側に移植された「目白」の地名  
   混迷した「目白を希望する会」の訴訟事件
   設置場所は巣鴨村の内だった   [大塚]
   駅名が新たな問題町名を生み出した
   詐称の駅名をもとに地名も詐称された
   1㎞近く離れた名所の名を借用   [高田馬場]
   駅名を地名にするのは“本末転倒"もはなはだしい
   電車線複線化と同時に設置された新駅   「鶯谷」
   1㎞以上も離れた地に通称地名を強制移動
   駅周辺に“谷間"はない
   問違いは江戸文人の錯覚から始まった
 3 中央線4駅も地名と整合しないゾ
   代々木も場所違いの駅名である   [代々木」
   麹町なのになぜ「四ツ谷」駅なのか   「四ツ谷」
   ここは市ヶ谷ではなく番町だ   「市ヶ谷」
   番町に居て番町知らず
   なぜ、対岸の井泉名を駅名にしたのか   [御茶ノ水]
   お茶の水橋は文明開化のシンボルだった

 Ⅲ章 山手線駅名総点検

 1 東海道本線――新橋~田町
   橋の名が地名となるまで   [新橋]
   鉄道発祥地の「汐留」も江戸時代からの橋名・町名
   遠州浜松の名に由来するか   [浜松町]
   元は田園だった地につくられた新町   [田町]
 2 旧・日本鉄道品川線大崎~新大久保
   軍事と通勤の両面で必要となった新駅   [大崎]
   居木橋の地名は完全に抹消された
   先に「大崎」の名を取られてしまった駅   [五反田]
   空前にして絶後! ビールの銘柄が駅名になった   [恵比寿]
   日本鉄道駅から山手線電軍駅へ   [渋谷]
   私鉄ターミナル駅として大発展
   鉄道国有化直前の駆け込み開業   [原宿]
   原宿の「宿」とは「町場」のこと
   電車が走りはじめて電車駅が次々と開設された   [大久保]
   「大久保」の駅名は「百人町」とすべきだった   [新大久保]
 3 旧・日本鉄道豊島線――池袋~駒込
   常磐海岸線と晶川駅を結ぶ短絡線   [池袋]
   江戸の北はずれの地   [巣鴨]
   南北に長い駒込の地   「駒込]
 4 旧・日本鉄道東北線――田端~上野
   常磐線の分岐駅として設置された駅   [田端]
   日本鉄道・京成の日暮里駅設置の経緯   [日暮里]
   「大町名主義」の住居表示に異議あり!
   西日暮里の駅名は「新堀」または「道灌山」でもよかった   [西日暮里]
   上野とは、ごく単純素朴な地形地名にすぎない   [上野]
 5 市街縦貫線――御徒町~有楽町   [御徒町]
     鉄道と神田川水運の結節点   [秋葉原]
     鎮火神社の祭神は「アキバの神」なのに
     広漠として不便な「神田」の駅名  [神田]
     明治の悲願だった“東京中央停車場”   [東京]
   駅名「東京」は是か非か
   明治元年「東京」命名の経緯
   織田有楽斎の屋敷跡というのは疑問   [有楽町]

 Ⅳ章 駅名ミステリー・ゾーンを探険する

 1 北へ北へと移動する「横浜」駅の怪
   砂州の上の小漁村が大港町に発展
   横浜開港と<初代>横浜駅   [<初代>横浜]
   <初代>横浜駅はスイッチ・バック方式のターミナル(終着)駅だった
   横浜の駅名を北へ移動させろ!   [<2代目>横浜]
   <2代目>横浜駅は関東大震災で壊滅した
   横浜ユニ才ン・ステーションという発想   [<3代目>横浜]
   東横線「本横浜」駅の不思議
   本来の横浜から北へ7㎞も離れた「新」横浜駅   [新横浜]
   拡大しすぎた「横浜」の弊害
 2 「千葉」駅は流浪する   [千葉]
   半径2・5㎞以内「~千葉」「千葉~」駅が11駅   [本千葉]
   成田不動尊参詣のための短絡私鉄路線   [千葉中央]
                       [千葉海岸→西登戸]
                       [新千葉]
   輸送需要の変化に対応し国鉄千葉駅を移転   [西千葉]
                         [東千葉]
   玉突き式に変更された駅名   [京成千葉]
   駅名と町名が整合していないゾ!
 3 もうすぐ完成! さいたま市浦和の麻雀駅名
   浦和は政治都市として発展した
   日本鉄道浦和駅は中仙道から300m地点に設置された   [浦和]
   旧制浦和高等学校一つだけの“文教都市”
   一人歩きした“文教都市・浦和”
   駅弁大学あって駅弁なし
   京浜東北線の大宮延伸により、電車駅が新設された   [北浦和]
   空襲は免れたが、都市整備は遅れた
   南浦和駅新設の経緯   [南浦和]
   貨物線用に建設された武蔵野線   [西浦和][東浦和]
   東西南北すべて揃った冠称駅名は“世界初の快挙"か?!
   公募による“悪名"の選択   [武蔵浦和][中浦和]
   埼玉高速鉄道「浦和美園」駅から見えてくること   [浦和美園]

 Ⅴ章 つくばエクスプレスの駅名全検証

     こんな駅名はもう許せない!
 1 首都機能移転がもたらしたもの
   中途半端だった筑波研究学園都市計画
   60㎞圏まで拡大された東京通勤圏
   いくつもの課題を背負わされた新線計画
 2 未来志向が歴史と伝統を破壊する
   問違いだらけの駅名選定経緯
   地名を多数決で決めるのは野蛮だ
   心ある住民地権者の願望は無視された   [秋葉原]
   歴史を偽る駅名にするな   [新御徒町]
   街起こしを望むなら「浅草六区」の名を復活すべし   [浅草]
                             [南千住・北千住]
   始末に負えないニセ地名ばかりだ   [六町]
                     [八潮]
                     [三郷中央]
                     [南流山]
   こんな誇大表示は“物笑いのタネ”   [流山セントラルパーク]
   自然保護は大賛成、だが地名文化・歴史遺産を破壊するな!   [流山おおたかの森]
   ラテン語の原義による駅名なぞマッピラ御免   [柏の葉キャンパス]
   ご用済みの人為的名称を復活させるな   [柏たなか]
   抽象名詞を地名や駅名にしてはならない   [みらい平]
   破壊した緑の自然を謳うあつかましさ   [みどり野]
   古代郷名を捨てて公園名を採る脱歴史感覚   [万博記念公園]
   地域特定機能に欠ける駅名   [研究学園]
   そろそろ市名も駅名も漢字表記に戻すべき   [つくば]

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March 22, 2005

ちょっと待った!合併新市名 ②「南セントレア」は空港愛称としても落第だ

<合併新市名論評>
2005-2-25 楠原 佑介

 ②「セントレア」は空港愛称としても落第だ

 セントラル・エアポート→セントレアとは何と愚かな略称か!

*セントレアとは「中部国際空港」の正式名称をCentral Air Portと英訳し、その語尾のPortを切り捨ててCentral Airの部分をCentr-airと略したものだろう。「空港」とはPortに意味があり、airだけなら単なる「空・空気」に過ぎない。日本人は略語製造の名人だが、これはいかにも乱暴過ぎる。

*かつて、分譲集合住宅の意の英語の熟語cooperative-houseをコーポラスcooper-useと約して売り出した業者があったが、こんな珍奇な略語はもう誰も使わない。セントレアの場合は愛称といえども固有名詞だから、定着する可能性は小さくない。だが、それがはたして、喜ぶべきことかどうか。

*セントレアCentr-airを漢字2文字で再訳すれば「中空」か「空中」になるだろうが、飛行機嫌いの私は「~発“中空(空中)”行き」などという飛行機には絶対に乗らない。空港会社の関係者は、英語使いの達人ぞろいだろうから、縁起かつぎや語呂合わせは気にしないのだろうが……。

*このような略語は英語を母語とする国々の習慣にはないはずで、彼らもこの略称は使わないだろう。

*そもそも「中部地方」という地方区分は、明治37年に教科書用に制定された7(8)地方区分の一つで、自然地理・人文地理の双方の観点から、特徴ある地方を教科書用地図帳の1ページないし見開き2べ一ジに納まるよう日本列島の両端から定めてゆき、残った本州中部を(9県という数も多いし面積も広すぎるが)一まとめにして「中部」としたもの。したがって、もしこの「中部地方」を英訳するのなら、Middle Districtとでも称すべきだろう。イングランド中部はMid-landと呼ばれるが、この場合は「内陸の~」という意味合いが含まれているらしく、日本の中部地方には合致しない。ただし日本でも、「中部山岳地帯」と呼ぶ場合には明らかに「内陸の~」という意味合いを匂わせた使い方である。

*欧米には、セントレアに似た発音の地名がいくつかある。西インド諸島のセントルシアSaint Lucia島はイギリス領の火山島で、イギリスでは紛らわしいセントリアはまず使われないだろう。アメリカにはミシシッピ川畔の大都市セントルイスsaint Louisのほかイリノイ州にセントラリアcentraliaという名の小都市があるから、アメリカでもセントリアは使われまい。

*名古屋人・愛知県人がCentra1にこだわるのは、その底に病的なまでの“中央願望"があるのかもしれない。関東と関西のほぼ真ん中に位置し、かつては織田信長・豊臣秀吉・徳川家康と日本を動かしたリーダーを輩出したのに、ミヤコ(首都)には一度もならなかった。その屈折した思いが結晶したのが、他ならぬ「中京」という僭称であった。世界中には、アメリカ西海岸のロサンゼルス、中国の上海など、一度も都であったことがないのに、経済活動は活発で、その国だけでなく世界をリードしている都市がいくつもある。名古屋人・愛知県人は何ら卑下することなく、胸を張って生きればよい。もし、その“田舎臭さ"から脱却して“風格"を身につけたいのであれば、もう少し「歴史」というものを大切にしたらどうか。名古屋市も愛知県内の各市も、明治以後あるいは戦後60年間の地名変更は東京はじめ全国どこよりもひどい。歴史を語るのは幾重にも積み重なった各時代の歴史的地名群であって、名古屋城の金の鯱鮭鉾は単なる飾り物に過ぎないのに……。

*外国の航空会社や外国人に使ってもらうことは、初めから想定外なのかもしれない。空港利用客から親しまれ、物珍し屋の観光客が押しかけて来るなら万々歳、という見解もあろう。だが、それでいいものか。先日、大学生・高校生の地理意識調査が行われ、彼らの地理音痴ぶりが話題になった。民営空港といえども政府からの補助金は出ているはず。その公的機関が怪しげな和製の略称英語地名まがいを新命名して、どうして学生らの地理音痴ぶりを批判できるのか。

*追記。2月27日の住民投票で、この「セントレア市」の是非が問われたが、合併そのものが反対多数になった。ザマアミロ! 愚案を考えついた関係者、面白おかしく囃したてたマスコミは全員猛省すべし!。

 「南セントレア市」の市名代案はこれしかない

 「南セントレア市」は3重に×点が付く落第市名だ!

 このタワケた新市名は、今回の「平成の大合併」政策の欠陥をモロにさらけ出している。2町が合併する場合、どちらか一方にゆかりの地名を新市名にしては、もう一方は納得できない。そこで、より広い自然地名などを借用してお茶を濁そうとする例が続出している。この新市名がダメなのは、①合併新市域内に地名として存在しない、②別地の、しかも地名ではなく施設の愛称に過ぎない、③施設の愛称としても問題多いネーミング(前項参照)――と×点だらけで、プラスに評価できる点は何もないことである。しかも、このような架空(=中空)の名称が市町村名に許されるとなれば、これを“前例"として各地に同工の願望型抽象名、しかも外国語が全国に氾濫する虞れがある。発案した美浜町長の弁によれば、「国際空港に来る外国人客に1人でも多く足を運んでもらいたい」ということらしい。何という浅ましくも、愚かな発想だろうか。かりに足を運ぶ人間がいたとしても、こんな市名では先進国からの客も発展途上国の人たちも誰からも尊敬されない。まさに“国辱もの"の新市名と呼ぶべきだろう。

 出す知恵はある――歴史に学べ!

 美浜町+南知多町の場合、郡名の「知多」は、昭和30年に3町合併で成立した知多町が同45年に市制施行して知多市を名乗っている。この知多市の名は南北に細長い古代以来の知多郡域から見れば、その北部の狭い領域に過ぎず、僭称の類である。その点、今回の合併の一方の当事者である南知多町(昭和36年、3町2村が合併)は知多郡の南端部であることを表現したもので、まあ問題は少ない。だが、今回の合併で「南知多」を名乗ろうとすれば、相手の美浜町は承服しないという図式である。
 ならば、歴史に聞けばよい。古代尾張国知多(智多)郡には5郷があったが、その一つ富具郷は現・美浜町野間から南知多町内海にかけての一帯に比定される(次ぺ一ジ分布図参照)。この富具郷はのち、鎌倉期~室町前期にかけて安楽寿院領の野間内海荘に移行している。
 知多半島西岸は丘陵地が海に迫り水田耕作が可能な平野は狭いが、伊勢湾を舞台に漁労・海上交通に従事する海人たちの拠点であった。富具郷は2町が合併した全域をカバーする地名ではない(ほかに但馬郷が現・南知多町南半部に想定されている)が、今回の合併新市名としてのプラス点は、現・美浜町南西部から南知多町北西部ににかけて、両町またがっていることである。郷名・群域の歴史的由来と経緯を考えれば、両町の住民・関係者とも異存はなかろう。

 フグ(富具)はフク(膨)の意で、「福」に通じる

 富具郷の遺称は現在、美浜町野間の南部に富具崎川が流れ、その河口に富具崎漁港があり、地内には富具神社も鎮座する。この富具郷は、知多半島西岸の海岸線沿いに標高40~50mの丘陵が張り出し、海に向かって大きく膨らんだ地点に当たる。全体に単調な知多半島西岸では唯一、伊勢湾に向かって張り出した地点ということになる(地形図参照)。
 この地名の語源は、その膨らんだ地形をフグ(富具)と表現したもの。フクとフグが通じる例は、冬の海の味覚である海豚を、西日本では語源通り清音のフク(釣り上げると腹部がたちまち膨れることに由来)と呼ぶのに、東日本ではフグと濁音化するのに同じ。河豚釣りの経験者には説明不要だが、河豚という魚は釣り上げられて海面から空中に出されたとたん、腹を膨らませて威嚇・警戒のポーズをとる。山口県下関漁港の土産物である河豚提灯は、その愛敬ある断末魔のポーズを形に残したもの。
瀬戸内海の入江のほとりの漁村では、冬場、カレイ釣りの外道としてクサフグが針に掛った。東日本の海辺の子供たちは河豚を釣り上げたらすぐ、膨らんだ腹を足で踏みつぶして堤防に放置するらしい(ネコやカラスが食ったらどうなるのだろう?)。だが我々は、その小さな河豚を大急ぎで家に持ち帰った。と、祖母が素人ながら器用な手つきで河豚の首筋に包丁を入れ、腹皮と内蔵をクルリと身からはがして捨て、裸の身と皮つきの頭を(血合い部分は取り除くが)味噌汁の具にしてくれた(もう2度と味わえない珍味!)。
 地名も魚名も使われた言葉は同じで、富具郷の郷名もフク→フグと転訛したものだろう。
 地名にはフクという用語はしばしば使われ、多くは「福」というめでたい字音語が当てられている。岡山県児島湾岸には広大な干拓地が広がるが・そのあちこちに「福~新田」とか「~福新開」という地名があった。私は初め、人工の干拓地だからめでたい「福」の字を使った美称だろうと思っていたが、本格的に地名を研究しはじめてすぐ、単なる美称ではなく「膨らんだ地」を表したものでもある、と気づいた。干拓地とはすなわ、「海に向かって陸地を膨らませた所」にほかならない。人工の干拓地だけでなく、河口三角洲など陸地が自然の営力で膨らんだ地にも「福~」の地名は多数見られる。
 水平方向の膨らみだけでなく、垂直の膨らみ・すなわち山や丘陵にも「福」のつく地名は便われている。
中世・在地武士団は険阻な山の上にまず城を構えた(山城)が、やがて平野部に要害の地を求めて進出しはじめた。平野に向かって水平方向に突出した丘陵端や平野の真ん中で盛り上がり膨らんだような小山.小丘丘は、周囲に濠を巡らせれぱ堅固な軍事拠点にできる(平山城)。やがて、こうした平山城の周囲に城下町が築かれ、「福山」「福岡」「福知山」「福本」などと称された。

 美浜町+南知多町の合併新市名としては、古代の郷名をそのまま採り新市名「富具市」としてもよいし、郡名を冠称して「知多富具市」と名乗る手もある。または、「富具」を「福」に置き換えて「知多福市」、あるいは郷名の「富具」を「福」に換えて「福郷市」・「知多福郷市」としてもよい。この程度の加工・修正は古代から中世へ、また近世村名へと継承される時にしばしば行われており、歴史的伝統的地名の保存・継承策としては許容範囲内といえる。ここに紹介した代案はどれも、「南セントレア市」などという根拠もなく、架空のタワケた新名よりははるかにマシというもの。

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March 05, 2005

ちょっと待った!合併新市名 ①千葉県「太平洋市」に代案「武佐市」を提案する

<合併新市名論評>

①千葉県「太平洋市」に代案「武佐市」を提案する!

 今回の合併新市名では隣接する広域自然地名を借用(パクリ)・流用する事例が目立っている。2年前に刊行した『こんな市名はもういらない!』でも指摘しておいたが、自然地名を市名などの行政地名に流用すれば、同じ名で性質が異なる2種の地名が併存することになり、必然的にさまざまな不都合が生じる。何よりも場所特定機能に混乱が生じ、それは時には人命にも関わりかねない事態を発生させかねない。去る1月31日、千葉県成東町・山武町・松尾町・蓮沼村の3町1村の合併協議会が新市名を「太平洋市」と決定したのも同工の類です。私は新市名を聞いた途端、「ギャンブル都市でもつくる気なのか?」と訝った。アメリカ東海岸、ニュージャージー州にAtlantic Cityという名の観光都市がある。観光というよりむしろ、カジノなどギャンブルの町といったほうが通りがよい。Atlantic Cityとは文字通り大西洋に面していることから命名された、いかにも植民国家アメリカ合衆国らしい都市名です。千葉県九十九里浜に面した3町1村の新「太平洋市」はそのひそみに倣って、ギャンブル場を誘致して振興を図ろうとするのか、と直感させるに十分でした。

 そうこうしているうち、全国地名保存連盟の新体制で事務局を担当される予定のK氏(別項で述べた住居表示で消された旧町名復活について、新運営委員会の中では小生と意見の相違がない少数派)から「何か対案はないか?」との諮問がありました。早速、手もとの『角川地名大辞典 千葉県』の該当項目を開き、古代郡名の表記と位置関係を確認しようとしたところ、郡名項目よりも先に「武佐国造」の項目のほうが目に飛び込んできました。

 国造・県主は、太化の改新、(西暦、645年に、中央集権化される直前まで日本列島各地を支配していた古代在地豪族です。現在でも多くの発展途上国では国民国家以前の部族社会の色彩が色濃いようですが、今から1400年前の日本列島はほぼ同じ状況で、部族ごとに族長が統治していました。彼らは連合王国の中央権力たる大和朝廷とはそれぞれ盟約関係にあり、中央からは国造・県主と呼ばれていました。在地豪族というと何やらおどろおどろしく聞こえますが、今日まで各地に残された前方後円墳ほか古墳時代の大型古墳の被葬者はほとんどこの国造・県主クラスの人物です。

 国造・県主は、『魏志倭人伝』に載る対馬国・壱岐国・末廬国・伊都国の名が国造・県主名にもなっている(一部漢字表記は異なる)ことから、もしかしたら優に弥生後期にまで遡る地名だった可能性もある。ちなみにヨーロッパ社会では、イギリスの首都ロンドンはA.D.43年にローマ人に侵攻・占領され、ラテン語でLondiniumと呼ばれていたという。西暦5世紀にはアングロ-サクソン族が侵入しローマ人は撤退。おそらくこのころ、ロンドンは現在のLondonと表記されるようになったと思われる。

一方、フランスのパリはB.C.3世紀ごろ、ケルト系のパリシイ人がシテ島に漁業集落を構え、のち商業活動にも従事していたという。B.C.52年、カエサル率いるローマ軍が侵攻、セーヌ川左岸に植民都市Lutetiaを建設、シテ島と合わせてLutetia-Parisiorumと呼ばれた。5世紀ごろまでローマ人のガリア支配の拠点だったが、6世紀前半にメロビング朝フランク王国の首都になり西ヨーロッパ屈指の大都会に発展した。

 このように見てくると、国造名を継承した上総国武射郡の名は優にロンドンやパリに匹敵する歴史的地名である。もしヨーロッパで、この種の古地名があるのに「わかりやすく簡明に、夢とロマンあふれる今風の新名称を命名しよう」などと言い出せば、その政権は1週間ももたないはず。個人にせよ団体にせよ、そんなことを主張する連中は異星人扱いされるか、文字通り“袋だたき”に遭う事態も覚悟したほうがよい。

 なお、武佐国造の拠点は、古墳分布の規模と時代差から現・東金市ではなく成東町にあったこと、合併域外の東金市武射田は中世の武射御厨の遺称であることについては3月6日、現地住民集会で説明します。

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February 28, 2005

正しい地名復興運動(正名復興運動)

<正しい地名復興運動> (略称「正名復興運動」)宣言

     発起人・世話人  地名情報資料室  楠原 佑介
     発起人同人     横浜歴史文庫   桜井 澄夫

世界中が嘲笑(わら)っているぞ?!

 日本人は「バブル再来を狙っているのか?!」

 昨平成16年秋の11月4日、ロンドン大学大学院(建築学専攻)留学中の日本人女子学生・N嬢の訪問を受けました。N嬢は『日本人の空間認識』というテーマで博士論文を準備中、との由。彼女の拙宅訪問の第一目的は、「昭和37年制定の住居表示に関する法律は初めから、地名を口当たりのよい名称に変えて地価を吊り上げるのが目的だったのかどうか、小生の見解を尋ねたい」ということでした。曰く、
 ①欧米の知識人の間では、昨今の日本の地名政策について、強い違和感、危惧の念が広まっている。日本では政府の主導ではなく民衆・一般市民がこぞって歴史ある地名を忌避し、何やらチョコレート・ケーキの商品名のような甘ったるい新名称を狂ったように命名しはじめている。何か変だゾ……、と感じているらしい。
 ②欧米の知識人たちは、「日本人はバブル経済の破綻を今なお処理できないでいるのに、またぞろ地名をいじくるのは「バブルの夢をもう一度」という願望が根強くあるのではないか。
 ③そもそも、日本人の空問認識は我々ヨーロッパ人とは相当異なっているのではないか。
 N嬢の指導教官(イギリス人)は、おおよそこのような主旨から、彼女に論文テーマとするよう助言したといいます。実際に欧米では、為政者と民衆が共同歩調をとって熱狂的な行動を起こすことには警戒しが強い。とくに人類共通の普遍的原理と思われる事項に対しまったく異なる基準を適用しようとする動きには、鋭く拒絶反応を示し、反発するという伝統があります。
 その一例は、1924年、ソ連ボリシェビキ政権によるサンクト-ペテルブルグ→レニングラードほか一連の地名改称政策に対し、「この政権、この個人崇拝は我々の市民社会、我々の文化圏の範疇外だ」と確信したようです。1966年、中国で毛沢東指揮下の紅衛兵らが『毛沢東語録』なる小冊子を手1こ半ば武装蜂起する形でそこいら中の街路名を政治スローガン風の名称に強制変更していった事態にも、「中国はどこへ行こうとしているのか?」と大きな危慎を抱いたはずである。
 紅衛兵による改名の嵐とほぼ同じ時期、日本では住居表示による地名変更が進行していた。欧米の知識人たちが当時、東洋の歴史と伝統ある2大国で同時進行していた地名変更に、共通の要素を見いだしていたかどうか、確認はしていない。しかし、中国の狂乱は“4人組追放”で終息し、紅衛兵が命名したスローガン風街路名もあらかた旧に復された。ところが日本では、「虚名による地価吊り上げ→偽ブランド地名による土地バブル現象」について本質的な反省はついになされなかった。そして今もなお、合併新市名命名という同工の愚行が各地で日夜、繰り返されている。
N嬢に対しては住居表示問題ほかの関連資料を提供し、さらに明治以降~今日の合併新市名問題に至る我が国の地名政策の欠陥(いや本当は欠如と呼ぷべき)を説明し、「住民・市民がこぞって地名変更・新命名に狂奔する事態は、実はそんなに古いことではない」と申し上げておきました。
明治の町村大合併の時にも全戸の意見を聴集した例はいくつかあったが、住居表示や合併のさい「住民の意向」次第という風潮が定着したのは、実は昭和42年の住居表示に関する法律の第1次改正で同法第5条4項に「・…・住民にその趣旨の周知徹底を図り、その理解と協力を得て行なうように努めなければならない」と定められたことによる。一見、民主的で何の問題もなさそうな文章ではある。だがこれ以降、当局は原案(ロクな案ではない)を住民に説明し同意を取りつけるなどという面倒な作業よりも、いっそ住民に新地名(市名)案を考案させれぱよい、と気づいたらしい。かくて、“住民の発案・合意”のもとに、質的にも量的にも人類史上空前の地名改悪・新命名が実行されることになった。
 欧米の識者が危惧する「バブルの招来」は日本人の本質に根ざすものではなく、戦後日本の政治家・行政的にも人類史上空前の地名改悪・新命名が実行されることになった。
 欧米の識者が危慎する「バブル願望」は日本人の本質に根ざすものではなく、戦後日本の政治家・行政官の地名への無知と歴史哲学の欠如に起因する(その程度の指導者しか持てなかったのは、日本社会のどうしようもない民度の低さであり、あらゆる局面で欠陥が露呈しているのになお政治構造・行政機構の改革政策変更が行われようとしない硬直した社会構造は指摘されてもしかたないが……)。

 時代遅れの“国際標準”にしがみつく愚

 欧米列強は大航海時代~帝国主義時代の数世紀間、原住民の土地と地名を奪って自国の植民者を入植させ自国語の地名を命名していった。自らの所業を棚に上げて今さら何を宣うか――という疑問もあろう。しかしイギリスに限ればこの疑問には返答がすでに用意されている。大英帝国はインドを植民地化したのち、インド全域の測量調査を開始した。そして1852年、ヒマラヤ山中の1峰が世界最高峰と判明、当時のインド測量局は現地名がないものと即断、イギリス人測量局長官名を採って、Mount Everest と命名した。ところがその直後から本国では、綿密な地名調査抜きに個人名を採って新命名することに異論が噴出した。6年後の1858年、インド測量局は現・パキスタンのカラコルム山脈の測量に着手、測量地記号のK(カラコルム)2峰が2年後に世界第2位の高峰であることが判明したものの、測量担当官名や登山家の名は山名に採用されることなく、K2という記号のままに今日に至っている。つまりイギリスは、いつでも、「2世紀以前はともかく、我々はその後、地名選択墓準を改めている(山名に限ってだが)」と釈明できるわけだ。
 その点、遅れて植民地経営に乗り出した日本は、日露戦争後に獲得した南樺太でロシア語地名を抹消したのは当然としても、アイヌ語ほかの現地語旧地名を復活するか、新規に日本語地名を命名するか議論が煮詰まらないまま妥協的に双方を混在させる結果になった。欧米列強が捨てた古い基準を後生大事に踏襲し、結果として新しい国際標準から大きくそれてしまい、批判の対象となる愚を犯したのである。

 21世紀は「旧地名復興」の時代

 旧ソ連の個人崇拝的地名変更に倣って、第2次世界大戦後に成立した北朝鮮やベトナムなどいわゆる“社会主義国”でも、権力者の意向に沿った形の地名改称が盛んに行われた。現在も同じ政策を継続しているのは、これら時代遅れの“旧・社会主義国”と日本だけである。いや、その規模と程度の悪さで見れば、世界中でひとり日本だけが歴史を破壊し伝統を踏みにじる地名変更を続けている、といっても過言ではない。欧米の識者が「日本異質論」に傾くのも、あながち“先入観に基づく偏見”とばかりは片づけられない。第2次世界大戦後、植民地支配の桎梏から逃れて独立を達成したアジア・アフリカの新興国では、旧・宗主国の言語で命名された植民地時代の地名を自らの言語の自らの地名に戻す動きが燎原の火のごとく広がっていった。当然の話で、自国語の地名を取り戻すことは民族自決・民族自治の第1歩にほかならない。
 その動きは今や国名・州名や都市名だけでなく、山名・川名・滝名など自然地名にも及ぼうとしている。近年、台湾の独立派の間で「正名運動」というスローガンが叫ばれている。「中華民国」という実態と大きく乖離した国号を捨て、実態に即した「台湾」を正々堂々と名乗ろうという主張である。我々は台湾独立運動には関与しないが、台湾を実質統治する政府と人民が正しく「台湾」を名乗ろうとするのは、ここ半世紀世界中で実行・認知された「正しい地名を復興する動き」の一環と見るならば妥当至極な話であろう。
 我々もまた、現今日本中で蔓延している歴史的伝統的地名の破棄→根拠なき新地名の命名という愚挙に、「正しい地名を復興する運動」を展開して対抗しようと決断した。平成の大合併において狂ったように乱造された新市名、かつての住居表示の嘘つき地名の処理ほか明治以来の確たる理念なしに策定されたさまざまな地名の破綻を修復し、世界に誇るべき日本の歴史的伝統的地名を復興することを究極の目的としたい。
 地名知らずの浅薄きわまる議論が横行している現況では、短期間に政策変更を実現できるとは楽観しておりません。しかし各都道府県1人(望むらくは各市町村1人)の心ある有志が協力して、データ整理と論理展開を進めれば、やがていつの日か「正しい地名」の復興も可能になると信じます。

 地名復興運動同人を募集します!

 格別な地名知識は不要です

 正しい地名を復興したい、という志と熱意ある同人仲間を募集します。地名研究の実績ある方はもちろんですが、そうでない方も歓迎します。日本の地名、そして世界の地名政策の現状については、必要にして十分なデータを提供します(ただし、コピー代・郵送料などは受け取る方が各自ご負担ください。1対多数の関係になりますので、小生の財政事情では無料配布には耐えられません)。

<同人会員にやっていただくこと>

 *すでに施行済の合併新市町を含め、新市名・新町名決定の経緯を暴露する。全国至る所で、過去―現在―未来の地域のあり方、あるべき姿を熟慮した上ではなく、ごく些細な目先の利害感情や根拠なき泡(バブル)のような繁栄願望によって、稚拙きわまる新名が選定されています。首長や議員の知的レベルはこの60年間の戦後民主主義の情けない結末でもありますが、特に許せないのは大学教授(学長クラスも含めて)ともあろう連中が肩書きだけの“カラ権威”を嵩に愚名選考に手を貸している事例が多数出現しています。首長・議員と“まやかしの有識者連''がどの段階でどのような発言を行い、いかにして“愚名”実現に尽力したか、その経緯を詳らかにしていこうではありませんか。
 * かつて住居表示の町名変更に対し当局の委嘱を受けた御用学者から、「昔からの地名・町名については自分らがきちんと調査・記録した。だから市民(区民)のみなさんが古い町名を調べる時には何  も不都合もない」という発言が相次ぎ、結果として根拠なき新町名を住民に受け入れさせる“露払い”の役目を果たしました。地名・町名は、記録を残したから変更してよい、というものではありえません。ただし、今回の合併新市名の決定された経緯を記録し公開することは、次の3点で重要と考えます。
   ① 愚名がいかに粗雑で稚拙な論議によって決定されたか、住民一般および全国に公開し、その根拠なきことを後世にわたって訴えてゆく。
   ② 同時に、新名の代案として歴史的伝統的地名の中からもっとも妥当な「市名代案」を提示し、どちらがまともかを問いつづけ、より妥当な歴史的伝統的市名復活の道を開きたい。
   ③ 愚かな新市名を個別に論じるだけでなく、全国を総覧できる資料を作成し、全国いや世界中の心ある人々に、「こんなことが許されてよいのか?」と訴えつづけてゆく必要もある。
 * 「正しい地名を復興する運動(略称・日本正名復興運動)」は志を同じくする者が対等に連携する同人組織とし、会費などは徴収しません。同人会員同士の連絡はインターネット・電話・郵便物などで行い、経費は各自自己負担とします。同人仲間から資料などの提供を受ける場合は、コピー代・郵料などは受け取る側の負担を原則とします。
 * 同人が調査・研究した成果をより広く世間に公開するため、目下いくつかの出版社と継続的に刊行していただくよう交渉中です。実現した場合、刊行物の著作権は執筆者個々人に属します(印税はページ割りにて執筆者個々人に支払われます)。
 * 現在もそうですが、将来、よりまともな地名政策が行われるような法体系・行政組織が整備された段階でも、行政を監視する各レベルの「民間地名委員会」が必要になります。市民社会は、権力者に対する不断の監視抜きには実現されません。現在の日本社会では、中央・地方のあらゆる行政局面で官僚という名の権力執行者の権力濫用・枉法・不作為、はては不法な利得・利権漁り.・不正行為が横行しています。これは国会議員ほか各レべルの議員・首長の驚くべき無能さ・無責任さによるものですが、数年に1度の選挙でコト終われりとする国民の側にも問題があります。民主的な社会は、「権力は  常に腐敗し、いつでも間違いを犯しかねない」という前提に立ち、国民・市民・民間側からの不断の監視と代案提示によってのみ健全に機能します。地名問題も同じで、より高い次元で物申しつづけるに足る研鑚が望まれます。「正しい地名を復興する運動」同人には、現在も将来も各レベルの民間地名委員会の中核メンバーたるべく、自己研磨と相互批判の精神を望みます。

地名情報資料室・楠原佑介個人の活動方針

 以上のような「正しい地名復興運動」の趣旨を実現すべく、楠原個人と地名情報資料質は当面次のような活動を展開し、」同憂の志を同じくする個人・団体と協働したいと考えます。

 ①新市名(地名一般も)110番(別称「地名何でも電話相談」)

 今から20年余り前、「地名を守る会」と訣別し新たな運動形態を模索していた数年間、東京・神田神保町の3坪の個人事務所を拠点に「地名110番」を開設しました。月に2、3件の相談を受け、可能な限り応答いたしました。住居表示の町名変更をめぐる住民からの相談が主でしたが、どう見ても市側案のほうが妥当で、住民側の願望は無理筋という例もかなりありました。そうした相談者には、私は地名が大切なので、無条件で住民側に立つわけではない、と告げ理解を求めました。この姿勢は今日まで変わっていません。

地名110番  048-781-7231
(楠原自宅=地名情報資料室 Fax兼用
午前中はH.P.の管理に専念しますので午後~夜10時ごろまで。
留守のときは留守電またはFaxを。

 なお、今回の「地名110番」は20年前と比較すれば、電話代・郵料が格段に安くなった点、またFaxやH.P. Eメールなどの通信・連絡手段が利用できる点、はるかに効率的になろうと期待しています。
 *電話相談は住民一般からも市町村合併協議会担当者からも受け付けます。合併新市名問題だけでなく、地名全般についても回答します。新市名の場合、それまでの経緯(概略で結構)を説明していただき、何が問題なのかが判明すれば、即答できる部分は即答し、調査・検討が必要な場合は数時間ないし中1日ほど後に再度電話を掛け直していただきます(H.P.またはEメールで返答も可)。
 相談はもちろん無料。電話代は相談者発信分は相談者負担、当方から折り返し掛け直す分は当方負 *ただし、相談内容(要約)と回答の著作権はすべて当方に属します。相談者がその著作物などに当方の回答を使用するときは、便用形態や文章を明示し、事前に当方の了承を得てください。また掲載分には「楠原佑介による」などとクレジットを明記してください(掲載刊行物1部を小生宛に納付のこと)。
なお、小生の意図するところと異なる趣旨で使用される場合には回答文の使用を拒否するこどもあります。また小生の複数の回答文などを集成して有料刊行物にされた場合には当然、著作権に基づき原稿料相当分を請求することもありえます。
 当方はいくつかの相談・回答を編集し、H.P.上に掲載したり有料出版物として頒布する権利を有します。住所・氏名を名乗った相談者には当該出版物を各1部あて呈上します。(出版物に掲載する場合、必ず事前に連絡しますので、その際、相談者の氏名を匿名化するかどうか)、ご指示ください)。いずれの段階においても住所・氏名を明かさなかった相談者には、事前の連絡も完成出版物を呈上することもできません(送付しようがない)。

 ②正しい地名復興運動同人募集要綱

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* 左にご記入の個人情報は、あくまでも楠原がH.P.を管理・運用するためのデータであり、第三者には公開しないことを約束いたします。もし万一、漏洩して被害が生じた場合、楠原がその全責任を負うことを約束いたします。

* Fax,I.P.phone,H.P.およびEメール未開設の方も参加できますが、郵便だけでご連絡する場合は、数日間の時間差が出ることをご承知ください。

* これまで地名関係の著作・論文執筆などの実績のない方ももちろん参加できます。たとえば、合併新市名の代案を考える場合、角川『日本地名大辞典』や平凡社『歴史地名大系』各巻を参照することになりますが、どの項目をどう見てどう判断すべきか、アドバイスします(楠原は、4月から読売・日テレ文化センター柏教室で「地名鑑定士養成講座を開講しますが、必要な方にはその講義内容をご送付いたします。ただし、コピー代・郵送料はご負担ください)。なお、地名辞典類は各自が所蔵する必要はなく、近くの公立図書館をご利用される形で結構です。

* 地名情報資料室H.P.のご利用について。
 ・地名情報資料室H.P.は楠原佑介が主宰します。いつでもご自由にご覧ください。考えの近い方同士で互いのH.P.をリンクしあうことも大歓迎です。また、ご批判・ご意見は自由ですが、地名情報資料室のH.P.には書き込みはできません。別記のEメール・アドレスにご送付ください。回答が必要なものには、可能な限り迅速に対応いたします。また、H.P.に掲載すべきご意見かどうかの判断は、楠原にお任せください。
 ・地名情報資料室のH.P.にご意見を匿名で載せたい方は、ご自分のベン・ネーム、および簡単な自己紹介的な肩書き(例=「地名研究者」「地方公務員」など)をご指定ください。
 ・ちなみに、楠原個人は掲載文の内容により「楠原佑介」のほか「iいちゃもんの守文句云ふ介」の別ペン・ネーム(の全部または一部)を適宜使い分けます。

   平成17年(2005)3月11日      地名情報資料室・楠原佑介

 *地名研究の実績ある方だけでなく、「本当の正しい地名を取り戻したい」という志ある方は誰でも同人になれます。小生のEメールまたはFax、郵便にて登録お申し込みを(住所・氏名、電話・Fax番号、H.P. Eメールのアドレス、過去の地名研究実績ある方はその概略、匿名希望の方は使用ペンネームを明記のこと。ただし、匿名だけの方は連絡のしようがないので、会員にはなれません)。
 *すでに出版社1、2社から、「現在進行中の合併新市名を分析・採点した批判本を出せないか?」という引き合いが来ています。小生は静岡県ほか数県分はすでに試験的に原稿化しており、残りの県分も1人でやってできなくはありませんが、ここは広く全国にアピールする意味でも多数の人々に参画していただいて、大きな「流れ」を作っていこうと思います。
 *現在のところ、全国で14~15名ばかりの賛同・参画が得られる見込みです(当方から具体的な誘い掛けはまだしていませんが、相当数の相手からかなり熱心な手紙をいただいています)。本当は、各県1名以上が望ましいところですが、やがて参画希望者が増加し、大きな流れにできると期待しています。

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